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心残り |
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一月になって、寒さも厳しくなった頃。 下校時刻はとうに過ぎ、校舎の生徒玄関に鍵がかかるのも時間の問題だった。 近道のかわりにと、通った体育館には誰もいなかったけれど、バスケットボールが一つ転がっていた。 転がっていたボールを拾い、ゴールに向かって放つ。 リングに当たってシュートはゴールに入った。 3Pシュートは得意だった。 得意というより、好きだった。 終了間際、ブザーの音と同時に入れるのが特に好きだった。 狙ってはずした事はない。 とどめを刺して、息の根を止めるような、それが快感だった。 シャツの第一ボタンははずして、ネクタイは少し緩めに。 上着のボタンは止めず。 ズボンはベルトまでしっかり締める。 動きやすい恰好がいい。 (シュート打つんは好きやったな) 相手の心情を読み取り、先回りをする。 言葉のない駆け引き。 単純だけれど、瞬時の判断が求められる試合が好きだった。 背筋を通り過ぎていくぞくぞくとした快感もまた、忘れ得ぬものだった。 ボールに触れた瞬間に脳裏に浮かぶのは、鮮やかな試合中の体育館である。 忘れていたわけではないけれど、思い出すこともなかった。 必要がなかったからだ。 誰もいない体育館で、一人、もう一度シュートを撃った。 音もなくゴールへと吸い込まれたボールは床に落ちて弾んで転がっていく。 この場所で、もう、バスケをすることはない。 感傷とは無縁かと思ってはいた。 (思い出すのは、それしかなかったからや) こだわり続けたのは勝利だけだ。 その為には、厳しい練習も言う事を聞かない後輩も我慢できた。 (勝負は最後までわからんもんや。せやからおもろい・・・) 転がったボールを拾って、用具室へ投げ込んだ。 湿ってカビ臭いここを訪れるのも最後だ。 ふと、背後に気配を感じた。 振り返ると体育館の出入口に人影がある。 (この時間にやってくるモノ好きはワシだけやと思っとったんやけどな) それが、誰かを確かめる間もなく、口元に笑みが浮かぶ。 後悔はしていない。 未練はない。 あの時、全力を尽くした。 それでも一歩及ばなかった。 ようは、賊軍であったのは自分達の方だったというだけのことだ。 どの時代でも勝った方が強く、負けた方が弱い。 答えは明快だった。 3年間の練習は無駄ではなかった。 1年間の我慢は無駄ではなかった。 (まあ、我慢をしていたのは他の部員やな。我慢をした覚えはないなぁ。せんでもいい苦労はしたかもやけど) あの日、あの時、全力を尽くせた。 それは、きっと、一生忘れられないものとなって、残っているだろう。 用具室の扉を閉めて、今吉は人影のある出入口とは別の方へと向かった。 声はかけない。 用があるならば、向こうから何かしらのアクションを起こしてくるだろう。 (ワシはやさしゅうできひんし) 相手の心の機微を読み取り、求められるがままに言葉を与えてきた。 けれど、それはもう必要がない。 「今吉サン」 体育館に低い声が響く。 無視をするという選択もできたが、扉を開ける前に足を止めた。 振り返りはしない。 「なんや?」 「1ON1の相手してくんねぇの?」 「あほか。せえへんよ」 「今吉サン」 「遅くならんうちに帰りや」 話す事などなにもない。 二人の間にはなにもなかった。 終わってみれば、本当になにもなかったのだ。 部活の先輩と後輩。 ただそれだけの関係だった。 「今吉サン」 「なんやの?甘えたかて甘えさせてなんぞやらんで」 「バスケやめんの?」 なんて、バカな後輩を持ってしまったのだろう。 誘ったのは自分かもしれない。 甘やかしたのは自分かもしれない。 それでも、この面倒くさくて単純な男の持つ強さは、唯一無二だった。 体育館の端と端。 近付かない距離感が、ちょうどいい。 見詰め合う事もせず、表情すらわからない。 この一年にも満たない間、常にこの距離を保っていた。 はっきり見えない方がいいと判断したのは、間違っていない。 「かわいくないやっちゃな」 笑う。 そんな風に呼んでももう何もない。 与えられるものなど、全部あの時、ロッカールームに置いてきた。 そこに、青峰が居なかっただけだ。 「気ぃつけて、帰りや」 出入口の重い扉を開ける。 校舎の灯りはほとんど消えていた。 空を見上げれば、星は見えるだろうか。 見上げる事はないけれど。 「今吉さんっ」 扉が閉まる音と同時にものすごい勢いと強さで右腕を掴まれる。 油断していたわけではなかったが、それ以上に力に振り回された。 「あーおみねぇ」 よろけたはずみで引き寄せられるままに後ろにいた青峰の身体に倒れ込む。 多少堪えたとはいえ、ほとんど無防備な全身を抱き止めたくせに、びくともしない事に腹が立つ。 青峰の体温が高いのか、それとも寒い体育館で自分自身が冷えたのか。 包まれるように触れる身体が温かかった。 「やっと、名前呼んだ」 「なんやの」 「バスケしてぇ」 「したいだけすればええやんか。好きにせえ」 自分ではどうにもできない事だったかもしれない。 そのままでも十分に強かったから、何もしなかった。 我がままを放置して、ただ、貪欲に求めたのは勝利だけだった。 利用していたのは、こっちだ。 それで、それだけで、良かった。 余計な感情は必要なかったし、孤立する事で更に強さを増したのも事実だ。 繊細な男だった。 目の前で絶望に打ち震え諦めていく弱者を目の当たりにして、笑い飛ばすことも蔑むこともできないかわりに、自分を見失った。 それでも、バスケを手放せず、強さを捨てられずに、自分自身さえも持て余していたからこそ、丁度良かった。 欲していたものを与えられないかわりに、自由を、我がままを許す事で、バスケ部に縛り付けた。 (それしかできひんかっただけや。正解やとは思ってへんけど間違ってもおらん) 心地好い温もりのせいで、突き放し損ねたのは、失敗した。 気付いた時には自力で逃れられないくらいの強さで抱き締められていた。 甘い香りがするのは、洗剤だろうか。 「放せや」 「嫌だ」 目を合わせずに、見ようとしなかった感情は、そのまま置き去りにするつもりだった。 真っ直ぐに。 元々、真っ直ぐに喜怒哀楽を隠す事はなかった。 ただ、ほんの少しだけ、見失っていただけだと、知っていた。 (知らんふりしてただけやけど) 全てを受け止めてもやれず、救ってもやれず、そうであれば、触れない事ができ得る優しさだった。 後悔も反省もしていない。 する理由がなかった。 「青峰。バスケは逃げへんし、怖くもあらへん。お前はお前であれば、最強のまんまや」 ぽんぽんと、子供をあやすように背中を叩いた。 他にできる事など、持ち合わせていない。 与える飴は、もうひとつも残っていなかった。 「放せや。お前に用はないんや」 「嫌だ」 「青峰」 「嫌だ」 「やさしゅうはできひんで?」 鳩尾を狙って、握った拳で殴りつける。 途端に、抱き締めていた腕から力が抜け、青峰はその場に膝をついた。 「ひっでぇ・・・」 脇腹を抑えて呻きながら睨んできた青峰の頭をそっと撫でる。 「気は短いんや」 「知ってる」 「気ぃつけて、帰りや」 ひらひらと片手を振って、校舎へと向かう。 白い息が浮かんで消えた。 このままでは、後腐れなく別れるのは難しそうだと、今吉は溜息を吐いた。 (まあ、ええか) 口元がそっと緩んだけれど、誰も見ていなかった。 終わり |
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2012/11/26 |
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初書き青今。 |
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