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雨の日 |
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雨が降ると思い出すから、雨の日は嫌いだ。 黄瀬は、教室の一番後ろの席で窓の外を眺めていた。 国語教師の教科書を朗読する声は淡々として、全部同じように聞こえる。 あの雨の日。 緑間が初めて負けたところを見ていた。 かける言葉は見つからなくて、メールも出来なかった。 あの雨の中にいたことを後から知るくらいなら、電話をすればよかったと後悔した。 雨の日は、少し、心が痛い。 緑間の背中を思い出したくなくて、黄瀬は机に突っ伏した。 「緑間っち」 待ち合わせたハンバーガーショップは、珍しく混み合っていて、酷く賑やかだった。 「傘を持っていなかったのか?」 前髪からぽたぽたと滴を落とすのを見て、緑間が眉間に皺を寄せた。 「そうなんスよ。こんなに降るとは思ってなくて・・・」 半分は嘘だ。 傘は持っていた。 ただ、駅前で困っていた年配の女性に譲ったのだ。 遠慮する女性に傘を押し付けて、雨の中を走った。 ちょうど雨足が激しくなった時で、シャワーを浴びたようにびしょぬれになってしまった。 「バカだな」 溜息と共に渡されたのは、明らかに新しいタオルである。 緑間の少ない言葉の中から本当の意味を拾いだすのは、意外と簡単で、黄瀬はほっと肩の力を抜いた。 「でも、これ・・・」 「タオルはいつも余分に持っているのだよ」 「ありがとうっス」 タオルを受け取って、濡れた顔と頭を拭いた。 雨の日を早く良いことで塗り替えたいけれど、なかなか上手くいかないと思いながら、黄瀬は笑って緑間の向かいの席に座った。 「雨、やまないっスかね・・・」 「天気予報は深夜まで続くと言っていたのだよ」 「え〜っ?」 「朝から降っていただろう?なんで傘を持っていないのだよ」 「出かけたときは晴れてたんスよ」 タオルを首にかけて、ハンバーガーを一口かじる。 こんな風に特別な用事がなくとも二人で会うようになって、ずいぶんと経つ。 関係はそんなに変わっていないけれど、以前より話すようになった。 特別な事はなにもないのだけれど、この時間が大切に思えるのは、いつも一緒にいる事ができないからだ。 (同じ場所にいたのに・・・) あの雨の日。 学校が違うから。 見ていただけだから。 (あの後、一緒のテーブルでお好み焼きを食べることになるなんて思わなかったけど) あの時、向かいに座った緑間は、もうすっきりした顔をしていた。 敗北を認め、相手の強さを認め、そして、再戦を望む。 (強い・・・) 弱いところもあるけれど、一人で乗り越えてしまう強さに憧れる。 (だから、甘やかしたいんだけど・・・) 甘えてはくれない。 甘やかされているばかりだ。 「どうした?」 こっちの小さな変化は見逃されず、気付かれてしまうのに。 緑間の変化はどうやったら気付けるのだろう。 「なんでもないっス」 「・・・・・・」 「なんスか?」 緑間に真っ直ぐ見つめられて、戸惑う。 上手く笑えてるだろうか? 心の中まで見透かされてしまうような気がして、不安になる。 「オマエは雨が降るとテンションが下がるのだよ。そんなに雨が嫌いなのか?」 「好きじゃないっスね。濡れるし、傘はじゃまだし」 悟られないように、嘘にならない嘘をつく。 原因が自分だと知ったら、緑間はきっと怒るかもしれない。 「・・・・・・、レインコートが必要だな」 「それはもっと嫌っス」 子供じゃないんスよ。 そう言って、笑う。 せっかく一緒にいるのに、楽しいのに、少し苦しい。 *** 「駅まで送るのだよ」 ハンバーガーショップの入口で、緑間が黒い傘を開いた。 雨は止む気配もなく、ずっと降り続いている。 「え?」 「濡れるのが嫌なのだろう?」 断る理由が見つからず、黄瀬は緑間と並んで同じ傘の下に入った。 傘のせいで、いつもよりずっと二人の間が近い。 「一度濡れたから同じっスよ」 まさかの相合傘に、少し緊張する。 「緑間っちは、雨が嫌いにならないんスか?」 あの雨に濡れた日を思い出したりしないのだろうかと、ふと思う。 「考えたこともないのだよ」 晴れたり、曇ったり、雨だったり、天候はその日によって変化するものであって、それ以外なにものでもないと、緑間は言う。 黄瀬に残っていた雨の日の後悔は、もう緑間には残っていない。 真っ直ぐ前に向かっているのだ。 (かっこいいんスよねぇ) 自分のようにぐるぐると迷ったり悩んだりしないのだろうか。 それは、少しうらやましい。 肩が触れるくらいの距離は、雨の日の特別だ。 後悔は雨と一緒に地面に落としてしまえばいい。 「晴れているのが一番いいとは思うがな」 静かに答えた緑間の口元に笑みが浮かぶ。 その横顔に見惚れて、黄瀬は跳ねる心臓を押さえた。 「オレ、たった今、雨の日も嫌いじゃなくなったっス」 「・・・どういうことなのだよ」 「ほら、こんなに緑間っちが近いなんて、雨が降ってるおかげじゃないっスか」 軽く肩を組んで自分の方に引き寄せる。 「バカか?」 「ひどいっスね。傘に隠れてキスまでできちゃうんスよ?」 「するな」 「ダメ?」 「当たり前だ」 傘があるせいで叩かれはしなかったけれど、眼鏡越しに鋭く睨まれた。 「残念っスね」 「濡れて帰るか?」 「それは嫌っス」 黄瀬を傘から追い出そうとする緑間の手を掴んで、立ち止まる。 「緑間っちが傘に入れてくれたから、雨の日も嫌いじゃなくなったんスよ?」 「そうみたいだな」 溜息ひとつして、左手で眼鏡を押し上げる。 レンズに少しだけ、水滴がついていた。 「特別だってこと、わかってる?」 「わかりたくもないのだよ」 近付けた顔を拒むように押しのけられる。 「ひどいっス」 「酷くない。こんな目立つ場所で何をするつもりだ」 駅に近付くにつれて、人通りも多くなり、雨音は騒音に掻き消されていく。 「また連絡するっス」 黄瀬は緑間の傘の下から離れると、駅に向かって走り出した。 本当は抱きしめてキスがしたかったけれど、それをしたら、また雨の日に後悔をしてしまう。 抑えきれない衝動に抗うように、緑間から逃げ出した。 (本気で好きだから・・・) 嫌われたくはない。 (レインコートがあれば雨の日も怖くないかな・・・) 緑間が傘をさしてくれるなら。 レインコートの代わりになってくれるなら。 きっと雨の日も好きになれるに違いない。 駅まで辿り着いた頃には、せっかく乾いた髪からまた滴が落ちるくらいに濡れていた。 (晴れた日がいいって言った) 次は、晴れの日に会いたいと、思った。 終わり |
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2012/08/22 |
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黄緑。 |
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